BONSAI 彩都 楽天市場店
331,080円
サイズ:左右44.3cm奥行32.7cm高3cm 商品解説 平安東福寺と同時代に活躍し、卓越した成型技術と多彩な釉薬で未だ根強い人気を誇る京焼の名工・平安香山。「カミソリ」と称される緻密で正確な型と、盆栽愛好家ならではの視点で制作された作品は国内はおろか海外でも人気が高い。 香山の大型水盤は大半が戦前に作られたとされていますが、この作品は「香翁」落款で戦後に作られたものです。俗に「香均釉」と呼ばれる香山独特の呂均釉のような斑紋を見せる透明感がある均釉が内側に施された作品です。外側が香山特有の朱泥土で仕上げられており、浅手のシャープな作りはまさに「カミソリ香山」の異名に相応しい出来映えです。水石飾りや石付盆栽、大型の草物など様々な用途で使える逸品。共布・木箱付き。落款:香翁 ※現品限りの商品です。 作家プロフィール 陶名:平安香山(へいあんこうざん) 本名:小池一雄(1905〜1990年) 東福寺と並び称せられる日本小鉢界の雄。小鉢だけではなく中大鉢もつくり、また水盤の名手だった。作品はいずれも反り、歪みの少ない端正な器型で知られ「カミソリ香山」の異名を取った。盆器制作活動はほぼ昭和一代に渡り、兵役期から終戦を挟み、昭和38、39年に至る休眠期を除いておよそ40年活動している。しかしタタラづくり主体の作陶だったため、非常に手間暇が掛かり、その数は万には届かないと推測される。戦前作は登り窯、再興後は電気窯による焼成が主体。作品は紫泥、朱泥、白泥、黒泥、梨皮泥などの泥物から辰砂釉、鶏血釉、均釉(香均釉)、緑釉、瑠璃釉、蕎麦釉、白釉、黄釉などの釉薬鉢、また染付、色絵、金銀彩と多岐にわたり、浮彫や透彫もある。昭和48年に陶号を二代香山に譲り、自らは香翁を名乗る。これ以降は香山工房として活動し、父子合作も多い。 ...
BONSAI 彩都 楽天市場店
260,880円
サイズ:口径12cm高7cm 商品解説 江戸末期を祖とする渋草柳造窯。新たな伝統を探すべく、アート作品やアパレルブランドとのコラボ作品なども手がける七代目が初めて盆栽鉢にチャレンジ。「盆栽鉢として成り立ち、海外の愛好家の視線を意識しつつ、数ある盆栽鉢の中で差別化されるものとは?」に取り組み、試行錯誤の上、生み出された作品です。成形は型を使うと粒子の配列が均一でなく歪みが生じることからロクロを採用。伝統的な呉須をベースに赤絵を加えた絵付は古い文献から画題を引き出しつつ、映すだけでなく、今の世代にも響くような仕上がり実現。まさに「革新の連続」で到達した柳造窯ならではの唯一無二の作品と言えます。 躍動感溢れる鯨図を主題とするが、裏面「沖浪裏」も正面として使えます。共箱・共布付き。落款:七代柳造 ※現品限りの商品です。 渋草焼(しぶくさやき)と柳造窯(りゅうぞうがま) 江戸末期の1841年、ときの郡代・豊田藤之進が尾張から陶工を招いて「渋草ヶ丘」という地に半官半民の窯を開かせた。良質な陶石が発見され、苦心の末に磁器焼成に成功。加賀九谷から絵付師を呼び寄せて、五彩・赤絵・染付の優品を作ります。この最初に呼ばれた尾張の陶工が、陶祖・戸田柳造でした。 幕末には「飛騨九谷」と呼ばれ全国に名を馳せますが、戸田柳造(1865)の死、江戸幕府の終焉(1867)によって支えを失い衰退を余儀なくされます。その後明治11年(1878)、地元の事業家・三輪源次郎をはじめとする有志によって経営が引き継がれ、再興。再び名絵付師を招き、九谷、有田、京都、瀬戸、美濃などの手法を取り入れて多岐に渡る製品を作り始めます。その後、明治政府、後藤象二郎などの関わりのもと、勝海舟翁の命名により「芳国社(後に芳国舎)」となり、パリ万博への出品などにより...